NEWSの深層

TBS NEWS

2020年4月13日

同時検証「コロナ禍」の日々(1)感染拡大後 初めての総理会見へ

[ TBS政治担当解説委員 石塚博久 ]

 安倍総理が「緊急事態宣言」を出し(4月7日)、初めての週明けの平日の朝、ならばとテレワークを決め込み、自宅の居間でパソコンを開いて思った。「安倍総理が『1、2週間が瀬戸際』と、さまざま国民にお願いしてたのはいつだったかしら…。もう50日もたってるじゃないの」。つれずれなるままに、思い出すことを書いておこうと思った。

あの時「総理記者会見に向かいながら」

 あれは、2月のことだっけ。土曜日の夕暮れ、薄暗い首相官邸の渡り廊下を足早に歩き、エレベーターで下に降りる記者会見場に向かった。2月29日のこれから新型コレラに対する拡大防止の基本方針決定後の初めての安倍総理の記者会見がはじまるのだ。

 ここ数日の新型コロナの感染拡大を受けた混乱が頭をよぎった。25日には政府が拡大防止の基本方針を発表したが、安倍総理は対策本部会議で「患者の増加スピードを可能な限り抑制し、国内での流行を抑えることが重要だ」と語るものの、記者会見は加藤厚労大臣に任せたのだった。この日は、厚労省の記者クラブの手伝いに駆り出されて、深夜12時頃まで記者会見室でのメモをとる「トリテキ」に汗を流したのだが、それまでいわば「丸投げ」されてきた格好の厚労省は、対策のもとになる、感染のPCR検査についても、全国の集計ができていないとの有様だった。去年の12月8日に中国武漢で「原因不明の肺炎患者」が発見されてからの3か月の期間を思い愕然としたっけ。

 「危機管理」で浮かんできたのは「政界の狙撃手」と呼ばれた野中元官房長官の姿だった。改めてDVDで見たわけだったが、日曜朝の政治番組『時事放談』での村山元首相とのやり取りで際立つのは、危機を乗り越える上での「政府内」での信頼関係の大切さだった。

■ 野中広務氏「白装束になって…」(2004年5月9日)

野中「村山さんとこうして並んでみると、村山内閣が出来まして、野坂(労働大臣)、亀井(運輸大臣)、野中という三馬鹿大臣が仲良くお使いをしたわけですけど。あの当時を思い起こして、阪神淡路大震災やらオウム真理教事件とか、函館ハイジャック事件とか、想像も出来ないような慣れない内閣でしたね。村山さんという方を得て、チームワークがよく取れて、本当に私ども充実した内閣で思い出を残すことができたと思うのは非常に嬉しいと思う」

村山「やっぱり野中さんが国家公安委員長で全部取り仕切ってくれた、テキパキと。安心してみておれますね」

野中「お互いの信頼関係がね。そのかわり、ハイジャックのときでも、私が忘れられないのは、死傷者が出たら、野中さん、おれも仕事を辞めて、白装束になって巡礼姿で犠牲者の家を回るよと、ああ、そうですか、私も一緒に回らしていただきますと言って、二人で会話したことを…」

石塚博久

石塚博久(TBS政治担当解説委員)

1986年、日本経済新聞社入社。大阪本社証券部、名古屋支社(愛知県警、名古屋市役所担当)を経て、90年から東京本社政治部。官邸クラブ(海部政権)、野党クラブ(社会党土井委員長、田辺委員長)、平河クラブ(自民党竹下派担当、92年竹下派分裂など)等を担当。
1996年TBS入社。政治部で新進党クラブ、平河クラブ(自民党橋本派担当)、外務省(田中真紀子外務大臣)等を担当。その後「筑紫哲也NEWS23」ディレクター、デスクを経て、「時事放談」を制作プロデューサーとして立ち上げ。現在、TBS報道局政治担当解説委員。
著作:「官僚」(共著)新聞協会賞受賞