NEWSの深層

TBS NEWS

2019年12月18日

中曽根康弘元首相のこと(10) ~「時事放談」の思い出

[ TBS政治担当解説委員 石塚博久 ]

 中曽根氏はあるときは、こんなことも打ち明けた。

 御厨氏は、番組の終盤「あの、中曽根さんに伺いたいんですけど、総理になると24時間警護がついて自由になれないということで、福田さんも随分嘆いておられたという訳ですけれども。中曽根さん時は誰かそれでもコッソリ会わなければいけない時はどういう方法でお会いになったんでしょう」。これに、中曽根氏は「それは官房長官とかね、あるいは国対委員長。宇野君とか色んな人がいましたね。あるいはさらに新聞記者のなかで、仲の良い人にお願いしたと。新聞記者は非常に力があってね。行動が早いんですよ。だから、1番、今使うべき段階でしょうね」と何やら、意味ありげに語った。隣で、渡辺氏はにやにやしていたっけ。

 中曽根氏と渡辺氏の組み合わせは、番組の看板の一つとなり、政局の節目節目での「ドラマチックトーク」は「新春スペシャル」を含めて23回にも及んだ。いつでも、中曽根氏と渡辺氏と御厨氏との打ち合わせは、あれやこれやと話題が尽きず、笑いの絶えないもので、4階のDスタジオわきの化粧室での時間が忘れられない。

 中曽根氏の訃報のおり、必要な連絡やら、「時事放談」の出演の素材のことやら、昼から夜までバタバタしたあと、読売新聞の記者と飲んでいた。「渡辺主筆のコメントだしてありますから」とのことだった。すっかりと飲みすぎた翌朝、新聞でそれを目にした。

 「中曽根さんの逝去は、私にとっては親の死と同様のショックです。私が平記者、中曽根さんがまだ陣笠代議士の頃から、毎週土曜日には決まって読書会をして、良書を読みあさった。夜二人で酒を飲むときも、話題は読書の話、政治の話ばかりだった。あのような勉強家、読書家は他に知らない。小泉首相の時、勝手に国会議員定年制を作られ、国会議員を八十五歳で無理矢理引退させられた時は、本当に憤慨していた。質素な生活にも感銘していた。私にとって彼以上に敬愛した人物はいない」

 私は、さめざめと涙を流した。

石塚博久

石塚博久(TBS政治担当解説委員)

1986年、日本経済新聞社入社。大阪本社証券部、名古屋支社(愛知県警、名古屋市役所担当)を経て、90年から東京本社政治部。官邸クラブ(海部政権)、野党クラブ(社会党土井委員長、田辺委員長)、平河クラブ(自民党竹下派担当、92年竹下派分裂など)等を担当。
1996年TBS入社。政治部で新進党クラブ、平河クラブ(自民党橋本派担当)、外務省(田中真紀子外務大臣)等を担当。その後「筑紫哲也NEWS23」ディレクター、デスクを経て、「時事放談」を制作プロデューサーとして立ち上げ。現在、TBS報道局政治担当解説委員。
著作:「官僚」(共著)新聞協会賞受賞