NEWSの深層

TBS NEWS

2019年5月29日

「あの朝のこと」 ~新たな「時代」と「ポスト安倍」の誕生の裏側(5)

[ TBS政治担当解説委員 石塚博久 ]

 菅官房長官の「令和」の発表が終わり。記者会見場には、ほっとした空気が流れ始めた。

 スピーカーからは少し緩んだ感じで「この後、そして、総理会見がありますので、会見場のレイアウトかえますので協力お願いしまーす」などと呼びかけがあり、水色の正面のカーテンがスルスルと自動でえんじ色に変わったりしだした。目の前には外国人カメラマンが座り込んできてパソコンをたたきながらさっきの「令和」の額縁をかざしたし菅長官の写真をどこかに伝送しだしたのだが、不意に振り向いて「何て読むんですか」と聞くので「れいわ」と教えてあげたら「ああ、れいわ、れいわ」などとつぶやきながらパソコンに打ち込んだ。隣のNHKのカメラマンはインカムに「いやあ、これがめいいっぱいなんですよお」などと言い訳がましい口調で話したりしていた。

 そんな時だったのだがどこかのカメラマンが壇上の台の上にそのまま置かれていた「令和」の額縁の前に歩み寄り「パチパチ」と至近距離で写し出したのだ。

 それで、他社のカメラマンも、今なら間近で写せるんだと気づいて歩み寄り、ならばと会見場にいた記者たちも我も我もとスマホをかざして近くに集まりだした。

 それで、令和の前は記者が押し合い圧し合いの騒ぎとなり、つられて恥ずかしながら私もその渦の中に紛れ込んでいた。

 そんな中、会見台の両脇に安倍総理用のプロンプターが用意され、そしてしばらくたって安倍総理の会見は始まった。

 安倍総理は「悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄をしっかりと次の次の世代へと引き継いでいく。厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本人でありたいとの願いを込め、『令和』に決定しました」などと、説明した。

 国会トークフロントラインでは、片山元総務大臣が「令和にすべき5つのこと」をあげ、2位では「政治主導のゆがみを直す」としていた。

 「政治主導っていうのは、もう長い間の、その、日本の政治の懸案事項で、要するに官僚主導、各省ばらばらの官僚主導だとなかなかこうやるべきことがうまくいかないっていうので、これを政治主導で、やはりもっとタイムリーにいろんな重要なことができるようにしなきゃいけないっていうことでやってきたんですね。で、そのために、官邸に、ま、権限を集めようとかそういうことをやってきて、それは一つの時代の要請だったと思うんです。ところが今日になってみますとね、その結果、弊害が随分目立つようになりましたね。

 例えばもう官邸が何か指示をしたら、そのことについて金科玉条で、で、あまり議論しないと。ほんとは重要な政策なんてのはちゃんと議論をして、そのー、バランスの取れたものにしなきゃいけない。それから落とし穴があるかもしんないから、ちゃんとそれをチェックしとかなきゃいけない。それから何より国会の場で合意形成をしなきゃいけないですよね。合意形成をするためには議論しなきゃいけない。

 ところが、どうも最初にもう結論を決めちゃったら、政策の吟味もしないし、議論もしない。で、本来なら官僚がいろいろあれこれデータを出したり、その、外国の事情を出したりしてやってたんですけど、昔は。それさえももう官僚ももうやる気なくしたのか、やらなくなってしまってるっていう、これではね、やっぱり日本のこれからの、その、大事な政策を決めていく上でとても危うい。ですからここはちょっと少しバランスを元に戻す。全部戻すわけじゃありませんけどね。行き過ぎた政治主導をやはりバランスの取れたものに戻していくっていう逆の、作業が必要だと思いますね」

石塚博久

石塚博久(TBS政治担当解説委員)

1986年、日本経済新聞社入社。大阪本社証券部、名古屋支社(愛知県警、名古屋市役所担当)を経て、90年から東京本社政治部。官邸クラブ(海部政権)、野党クラブ(社会党土井委員長、田辺委員長)、平河クラブ(自民党竹下派担当、92年竹下派分裂など)等を担当。
1996年TBS入社。政治部で新進党クラブ、平河クラブ(自民党橋本派担当)、外務省(田中真紀子外務大臣)等を担当。その後「筑紫哲也NEWS23」ディレクター、デスクを経て、「時事放談」を制作プロデューサーとして立ち上げ。現在、TBS報道局政治担当解説委員。
著作:「官僚」(共著)新聞協会賞受賞