原爆投下から75年。広島では「オンライン被爆証言」の試みが広がっています。
広島市で開かれた「オンライン証言会」。被爆者の梶山雅子さん(88)に、入所している施設からオンラインで証言してもらいます。
聞き役として、広島皆実高校の生徒たちが準備を重ねてきました。証言会の2週間前、生徒たちは初めて梶山さんと顔を合わせました。
「みんな死んじゃったのね、ハチロク(8.6)。行ったことある?慰霊碑。あそこに記されているのは、みんな私の8月4日まで一緒だった同級生」(梶山雅子さん)
75年前、梶山さんはこの学校の前身=県立広島第一高等女学校の1年生でした。あの日、爆心地近くで建物疎開の作業をしていた1年生223人は全滅。梶山さんは作業を休んで自宅にいたため、助かりました。亡くなった同級生の中には、梶山さんの親友、石堂郁江さん=「いくちゃん」もいました。
「『いくちゃん』のことなんですけど、その後どうなったか分かりますか?」(中野凜さん〔2年生〕)
「いくちゃんがボロボロになってね・・・」(梶山雅子さん)
梶山さんは、いくちゃんとの思い出や被爆当時の状況について、これ以上、詳しく語ることはありませんでした。
「(梶山さんは)深いことは直接会って話します、みたいな感じなのかなって」(中野凜さん〔2年生〕)
「オンラインで非常に話しにくいけど、今、話したいという気持ちになってもらうしかない」(生徒会顧問・尼川貴史先生)
多くの友人を奪われ、今も苦しんでいる梶山さん。その心を開いてもらうのは、画面越しの対話では難しかったのです。そして、オンライン証言会の当日。
「黒板に書いときなさいって先生が言ったことを『いくちゃん書いて』って言ったら忘れてて、『まーちゃん(梶山さん)の字より私の方がきれいだから書く』とかね」(梶山雅子さん)
亡くなった同級生のいくちゃんについても話してくれました。実は、2週間前の聞き取りの後、生徒たちは梶山さんに毎日電話をして対話を重ねていました。
「お友達と遊ぶこと楽しいよね。とっても楽しかったよ。何をしても。ただ、戦争でわけが分からなくて。今の皆さんは二度とないのよ」(梶山雅子さん)
「原爆が落ちたとき、大事な家族や友達を亡くしたりして、今そういうことが自分に起きたらすごく悲しいし、これからは友達や家族を大事にしようと思う」(小学6年生の女子児童)
生徒たちは、梶山さんの思いを受け止めようともがく中で、「聞く姿勢」の大切さに気づいたといいます。
「信頼関係が築けたから、それ(リモート)でもちゃんと対話することができたかなって。私たちの聞きたい思いが伝わったのかなと思った」(鈴木麗奈さん〔2年生〕)