【現場から、】平成の記憶


2019年4月26日
“戦争のない平成”陛下の思い

戦後70年、天皇皇后両陛下による激戦地、パラオ・ペリリュー島への訪問は一度は断念せざるを得ないほど困難な計画でした。それでも訪問を実現させた陛下の強い思いとは?

昭和8年生まれの天皇陛下。戦時中には疎開した経験もあり、これまで何度となく戦争の記憶を語られてきました。最後の会見でも…

「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」

「安堵」。その言葉の重みを、側近の中でもトップの侍従長を2015年まで8年近く務めた川島裕さん(76)はこう話します。

「安堵という言葉には80何年分が込められている」(前侍従長 川島裕さん)

先の大戦の激戦地、パラオ・ペリリュー島。戦後60年に際し、この地への両陛下の訪問が検討されます。しかし、現地の交通インフラなどを理由に断念。それでも両陛下のこの激戦地への思いは強く、戦後70年、再びペリリュー島への訪問計画が持ち上がります。

「先の戦争について記憶をしている世代がどんどん少なくなっている。非常に危機感を持っておられて」(前侍従長 川島裕さん)

ところが、問題となったのは、その行程。島へはボートに乗って1時間以上かけて海を渡る必要があるのです。

「両陛下に(ボートで渡る)リスクはいかがなものか」(前侍従長 川島裕さん)

なんとか両陛下の思いを叶えたい。川島さんらは一計を案じます。そして考えられたのが、海上保安庁の巡視船でした。両陛下は、この船に宿泊し、翌日、船に搭載されたヘリでペリリュー島に向かわれたのです。

「米軍の戦死者をも慰霊する。戦争で命を失った人たちをあまねく慰霊なさる」(前侍従長 川島裕さん)

かつての戦地を訪れるたびに、遺族ら一人一人と必ず言葉を交わされてきました。

「遺族のためにいろいろ 本当に尽くされて」

戦争のない時代、平成。その実現のために、両陛下は、ある信念をもって行動されていたと、川島さんは話します。

「先の戦争で310万人亡くなっているというのではなくて、亡くなった一人一人の悲しみをリアリティーを持って受け止めての慰霊なんだと思います。人の死の悲しみを決して統計数字にしないことが、戦争の惨禍を避けるために重要」(前侍従長 川島裕さん)