【現場から、】平成の記憶


2019年4月25日
原発事故「教訓を次の世代に」

今回は、2011年の震災で事故を起こした東京電力福島第一原発です。原発が立地する町で事故の前からかじ取り役を担ってきた町長は、「教訓を次の世代に伝えたい」と話します。

桜が見ごろを迎えた福島県会津若松市。福島第一原発事故でふるさとを離れた大熊町役場は、あれから8年目の春を迎えていました。

帰還困難区域を除く地域の避難指示が今月解除された大熊町には新しい庁舎ができ、8年ぶりの町内での業務再開に向けて、引越し作業が行われていました。

大熊町で福島第一原発1号機の運転が始まったのは昭和46年。当時は「原発との共生」が当たり前の考えだったと、町に生まれ育った渡辺利綱町長は話します。

「(原発があることが)特別な思いというよりは、原発が存在している中で町の行政が行われてきたという事実があるので、あるのが当たり前という感じだった」(大熊町・渡辺利綱町長)

ともに歴史を刻んできた町と原発。しかし、平成に入って…

「原子力発電所と共存している福島県としては、今後、国の原子力政策に対して一切協力できない」(福島県・川手副知事〔当時〕)

平成14年、東京電力による原発のトラブル隠しが発覚。当時持ち上がっていた使用済みの核燃料を処理して再利用する、いわゆるプルサーマル計画が凍結され、県内の原発10基が全て停止されます。

「原発の安全性に対する信頼が揺らいだ。(一方で)原発が停止すれば国民生活に大きな影響があるのかなと当時は思った」(渡辺利綱町長)

その後、県内ではエネルギー政策そのものや、安全・安心に向けた取り組みの検証が続けられてきました。そして、2011年3月11日…

「原子力発電所の今回の事故で多くのものを失った。1万1500人の町民の人生が変わったのは、その通りだと思う」(渡辺利綱町長)

町長が思う「原発」とは…

「原子力発電所って何だったのかなというと、一言で言い表せないぐらい。やはり、こういうことは二度と起こしてもらいたくないというか、あってはならないと思うし、本当にこの貴重な教訓というものを次の世代に生かしていくというのが大事なことだと思っている」(渡辺利綱町長)

共存を模索した歴史の中で奪われたふるさと。大熊町は、ようやく再生のスタート地点に立ったばかりです。