【現場から、】平成の記憶


2019年4月20日
大震災で見えた地方空港の役割

東日本大震災では、被災した仙台空港に代わり隣県の空港が大きな役割を果たしました。山形空港のケースから、人やモノを運ぶだけではない、空港のもう一つの役割が見えてきました。

「仙台基地が津波に襲われています。仙台空港はもう使えません」

平成23年3月11日、東日本大震災当日、仙台空港は大きな津波被害を受けました。流された航空機や車、がれきが滑走路を埋め尽くし、空港としての機能が完全に止まったのです。

「あれだけの便が輻輳(ふくそう)して飛ぶというのは、かつて経験がない状況でした」(山形空港ビル 仲野昭彦さん)

山形空港ビルの仲野昭彦さんです。山形空港は、被災した仙台空港に代わり、警察や消防、アメリカ軍の救援基地として使われたほか、臨時便を含め、数多くの航空機が飛来しました。

「人が立錐(りっすい)の余地もない感じで、搭乗するためにお待ちいただいたお客さまが非常にあふれていた」(山形空港ビル 仲野昭彦さん)

当時、山形空港では、200人を超える人が夜を徹して航空便を待っている状況で、仲野さんたちは、毛布やイスなどを手配して少しでも快適に過ごせるよう努めたということです。

「航空会社の方々も臨時便の対応で、全国の各基地から応援の方が来て対応した。各セクションの方々が精いっぱい取り組んだ。総力戦だった」(山形空港ビル 仲野昭彦さん)

仲野さんは当時を振り返り、「二つの地点を航空機で結ぶ」という空港の特性が東日本大震災で生かせたと話します。

「一つの空港が災害で痛んでも、ほかの空港が補完できるというのが震災を通して認識できた」(山形空港ビル 仲野昭彦さん)

昭和39年に開港した山形空港の利用者数は、平成3年度のおよそ74万人をピークに右肩下がりの状態が続くことになります。理由は、山形新幹線の開通やリーマンショックによる定期便の減便や休止です。交通機関としての位置付けが相対的に下がるなか、東日本大震災は地方空港の役割が見直される大きなきっかけになりました。

「まさに防災インフラとしての機能が、いかに強いかというのが証明された事例」(山形県総合交通政策課 酒井達朗 課長)

有事の際に地方空港が“防災インフラ”として非常に重要となり、その役割を果たすため、山形県は定期便やチャーター便の誘致を積極的に行い、一時、11万人台まで減った利用客が昨年度は32万人台まで回復しています。

「いざという時にきちんと機能するためには、旅客定期便がちゃんとあること。新幹線があるにもかかわらずニーズを掘り起こせたという事例は地方空港のモデルケースになりうるし、ビジネスとして成立することが有事の際のリダンダンシー(冗長性)の確保につながっていく」(山形県総合交通政策課 酒井達朗 課長)

衰退傾向から震災を契機に、そのあり方を見直された地方空港。その存続に向けた模索は続きます。