【現場から、】平成の記憶


2019年4月18日
「ベルリンの壁」崩壊から30年 今は

今回はベルリンの壁崩壊です。平成の幕開けにおきたこの世界史的な出来事は冷戦終結をもたらし、その後、東西ドイツ統一へとつながっていきました。

30年前の平成元年11月。東西冷戦の象徴だったベルリンの壁はついに崩壊しました。

「東ドイツ市民の求め続けていた自由な西側への旅行が、ついに実現しました」(記者)

社会主義の東ドイツで抑圧された日々を過ごしていた市民は、希望に満ちあふれた表情で「国境」を越えていきました。その当時、東から西へと向かったこの女性は、大きな決意を抱いていました。

「私は西側で生きると決めた。もう二度と戻る気はありませんでした」(東ベルリン市民だった ベアーテ・シューマンアイヒさん)

東ドイツにとって最後の砦となったブランデンブルク門で当時、警備にあたっていた男性は…

「通過していく人がどんどん増えていった。もうこれで、東ドイツは終わりだと思った」(元東ドイツ国境警備隊 シュテフェン・ミュエーさん)

高さおよそ3.6メートルあった壁が残されている場所などは、いまやすっかり観光名所として賑わっています。しかし、壁はほんの30年前まで人々の「自由」を隔てる高く大きな存在でした。

「当時、壁を越えようとして命を絶たれた人たちがこちらに展示されています。ベルリンだけでおよそ140人いたとされています」(記者)

壁が崩壊する8か月前、32歳の若さで亡くなったヴィンフリート・フロイデンベルクさん。ベルリンの壁を越えようとして命を落とした最後の犠牲者です。

「(弟の計画を)何も知りませんでした。弟は私たち家族を守るために、できるだけ分からないようにしていたのです」(フロイデンベルクさんの兄 ラインホルトさん)

電気技師の資格を生かし、職業の自由や充実した研究環境を得たいと考えていたフロイデンベルクさん。壁を越えるために使われたのは、気球でした。秘密警察などに漏れれば、家族が処罰を受けるため、人知れず気球作りを進めたといいます。深夜2時過ぎ、暗闇の中を飛び立った気球は壁を越え西ベルリン上空にまで至りましたが、途中でコントロールが効かなくなり5時間半後に墜落しました。

「(弟は)ぜいたくな暮らしではなく、自由に生きたかった。それが目標だった」(フロイデンベルクさんの兄 ラインホルトさん)

東ドイツ出身のメルケル首相は今年2月、彼の死に触れてこう述べました。

「彼の死は私たちに自由と民主主義の大切さを思い出すよう警告しています」(ドイツ メルケル首相)

「壁が必要だ。すでに一部を建設した」(アメリカ トランプ大統領)

今、また新たな壁や目には見えない障壁を作ろうとする動きが世界に広がっています。ベルリンの壁崩壊から30年、あの当時を経験した人は壁がもたらした分断をこう振り返ります。

「ベルリンが分断されていたなんて、ばかげている。壁はありえないことだったんです」(東ベルリン市民だった ベアーテ・シューマンアイヒさん)  「壁で人の出入りは防げない。人は必ず道を見つけるのです」(元東ドイツ国境警備隊 シュテフェン・ミュエーさん)