【現場から、】平成の記憶


2019年4月11日
カープ“全国区”への軌跡

今回はプロ野球の広島カープです。いまや全国規模の人気を誇る球団となりましたが、その陰には、平成の低迷期を支えた地元・広島のファンたちの存在がありました。

昨シーズン、球団初のセ・リーグ3連覇。主催ゲームの入場者数は過去最多の223万人。広島カープの人気は球団の創設以来、最高潮に達しています。

「カープの4連覇と日本一を祈願して、乾杯!」

この日、長年カープを愛するファンたちの会合がありました。「平成のカープ」について聞いてみると…。

「『カープファンやめようかな』と思うぐらい長く弱い時期があった」(男性)

カープは、平成の後半まで「どん底」の状態でした。かつての本拠地・旧広島市民球場は老朽化し、閑散としていました。

チームの成績も低迷。平成3年のリーグ制覇を最後に25年も優勝から遠ざかり、この間、ほとんどBクラスでした。

球界再編の議論が持ち上がると球団の消滅さえ現実味を帯びました。人気と実力が浮上したきっかけとして、ファンの誰もが認めるものがあります。

「マツダスタジアムができたことが、大転換点」(カープファン)

平成21年、マツダスタジアムがオープンしました。買い物やイベントも楽しめるアメリカ式のボールパーク。女性ファンが増え、「カープ女子」が流行語にもなりました。入場者数は1年目に180万人に達し、その後も上昇カーブを描きました。

新球場誕生の陰には、地元広島の支えがありました。

「大リーグの球場では壁にれんがを積んだり、タイルを張ったりするけど、ここはもう壁を作ってペンキで済ませている」(スタジアム建設に関わった広島市職員・日高洋さん)

マツダスタジアムの建設費は、球場としては割安な90億円。広島市の職員は、全米各地の球場を自費で視察したといいます。

「広島にとってカープは唯一無二の存在だと思っていたので」(日高洋さん)

地元のファンや財界は、新球場のために募金活動を展開。シンボルとなったのは、日本酒の「たる」でした。

第2次大戦末期、原爆で焼け野原となった広島。4年後、復興への期待を背にカープが誕生しましたが、資金難に苦しみました。当時の人々は、ふるさとの球団を守ろうと、たるにお金を持ち寄って支援。その記憶が平成の時代によみがえり、1億2000万円余りが寄せられたのです。

「(Q.当時の心境について?)みんなの大事なカープだから何とかしなくちゃいけない。できることから、やっていこう」(カープファン)

「地域全体もカープを愛していて、カープも地域を愛している。カープは広島の宝だと思います」(日高洋さん)

「平成」から「令和」の時代へ。マツダスタジアムとともに、カープが躍動し続けることを広島のファンたちは願っています。