【現場から、】平成の記憶


2019年3月21日
くいだおれ太郎が見た平成

今回は大阪の観光地、道頓堀です。看板人形の「くいだおれ太郎」が見守ってきた町は、平成の30年間で大きく様変わりしました。

外国人観光客で賑わう大阪・ミナミの道頓堀。そのど真ん中にいるのが、今や世界中に知られる大阪の顔、「くいだおれ太郎」です。

平成がはじまる前日の1月7日、喪服姿でした。そもそも、飲食店「くいだおれ」の看板人形。くいだおれは、お子さまランチから会席料理まで何でも食べられるファミリーレストランの先駆けでした。

看板人形と共に人を引きつけていたのが、名物女将です。曲に合わせて踊っていると、たこ焼きが出来ていく「たこ焼き音頭」。くいだおれの名物として宴会客に大好評でした。

「固くなるまでみなさん待てないんですよ。だから踊らせて時間稼ぎをする」(「くいだおれ」名物女将・柿木道子さん)

そんなくいだおれの看板人形が一躍脚光を浴びたのが、平成4年。亀山・新庄の活躍で快進撃を続ける阪神タイガース。優勝が決まればカーネル・サンダースのように道頓堀に投げ込まれるのでは・・・。このピンチを女将は絶妙なアイデアで乗り切ります。

「わて、泳げまへんねん」

この吹き出しで、人気は全国区に。平成6年の関空開港。一番機に搭乗するのにパスポートが必要となったため、このとき初めて「太郎」と名づけられます。  その後、サッカー日韓ワールドカップや世界陸上・大阪大会でも吹き出しが登場。全国から、太郎見たさに人が押し寄せました。

「よくできた息子でございます。看板息子でございます」(柿木道子さん)

その一方で、道頓堀の賑わいを支えていた芝居小屋などが相次いで閉店。芝居を見に来る人をお得意様にしていたくいだおれは人の流れの変化に対応できず、平成20年、創業59年で閉店を余儀なくされます。

「これはナンバーワンでしょ。ここに来たら証拠として残さなくちゃ」(男性)
「お父さん、無くなるんですよ。これ」(記者)
「え、ウソ!」(男性)

太郎の最後の吹き出しは・・・
「永いことありがとう おおきに 太郎」

「永いことありがとう。太郎の言葉でございます。大阪名物『くいだおれ』は日本一幸せな店でございました!」(柿木道子さん)

くいだおれの閉店から10年あまり。伝統ある芝居小屋や映画館が消えた後には、ファッションブランドの店などが軒を連ねています。

「街の人の流れが変わったというのが1番大きいと思いますね」と話すのは、女将から「くいだおれ太郎」を受け継いだ長男の柿木央久さん(51)です。

「この中座って大きかったし、それが無くなったのが大きかったですね」(柿木央久さん)

道頓堀は、若者や外国人が「モノを買う街」へ変化しました。くいだおれのビルは、みやげもの店に。太郎は中座跡地のビルで「タレント」として出演料をもらい、今も道頓堀を見守っています。  「次の10年ですね。次の10年忘れられず、飽きられない程度におらせていただいたらいいなと」(柿木央久さん)

「平成の記憶」取材後記

大阪ミナミ・道頓堀のど真ん中で営業していた、飲食店「くいだおれ」。
過去のニュース素材に残されていた当時の様子は、地方から来た出張族や芝居の観覧客向けに「たこ焼き音頭」や「出身県の名前入り提灯」といった、手作りながらもとても心のこもったおもてなしの数々でした。

「こうしたアイデアはどうやって生まれるのか・・・」と思い、今回名物女将にも取材を申し込んだのですが、体調がすぐれなかったため日程が合わず。

ただ、ご本人は「テレビに出たかった」と話しておられるそうで、またお元気になられたときに、ぜひとも取材させていただければと思いました。

記者:清水貴太

2014年入社
大阪・堺市生まれ
MBS行政・大阪市役所担当