【現場から、】平成の記憶


2019年3月19日
厳罰化目前 大分6人殺傷事件

今回は平成12年(2000年)に大分で起きた一家6人殺傷事件です。当時15歳の少年が逮捕されましたが、少年法が厳罰化される直前の犯行だったため、刑事責任は問われませんでした。事件から18年。家族を襲われた男性が胸の内を明かしました。

平成12年8月、田園風景が広がる大分県野津町の小さな集落で凄惨な事件が起きました。

「青いシートにすっぽりと覆われた現場が浮かび上がり、上空からは異様な光景に映って見えます」(記者)

サバイバルナイフを持った少年が民家に侵入し、3人のきょうだい、母、祖父母の6人を次々と刺します。長男(当時13)と母(当時41)、祖母(当時66)の3人が即死。祖父と長女、次男の3人が大けがをしました。

この事件で逮捕されたのは、近所に住む当時高校1年生の少年(当時15)でした。

「(供述は)風呂場をのぞいたのではないかと疑われた。その後、母親から何回も同じことを聞かれた。(被害者家族)全員が僕を無視するようになった」(県警の会見・当時)

事件から18年、13歳の長男を失った父親は、障害を負った長女と次男とともに懸命に生きてきました。

「事件に対して心の変化はない。決して思いが癒えることはない。どうしても、刑事責任は負うべきだった。本当の動機は何だったのだろうと思う」(遺族・父)

少年法が厳罰化される直前の犯行だったため、15歳の少年に刑事責任は問われなかったのです。遺族が最も知りたかった詳細な動機は、家庭裁判所の非公開審理のため、公になることはありませんでした。家裁の決定により、少年は医療少年院に送致され、7年後、別の少年院を退院します。

一方、民事訴訟により、35歳までの年2回、遺族に近況を知らせなければなりませんが、これまでに送られてきたのは大半が両親からの手紙。本人からは数えるほどしかありません。

「目の前にいたら、もしここにナイフがあったら、私は刺すかもしれない。それで何かが解決するのかといったら、何も解決しない。悲しむ人がたくさん出てくるだけ」(遺族・父)

悲惨な事件は、大分県で被害者支援に目を向けるきっかけとなりました。

「唯一、彼女・彼たちの死を無駄ではないというために。事件をきっかけに集まった我々、信頼関係のある人たちでセンターを作ろうと」(大分被害者支援センター 三井嘉雄理事長)

事件から3年後、遺族の支援に関わった弁護士や臨床心理士が、「大分被害者支援センター」を設立。相談体制などを整えてきました。

「被害者を励ますことは、みんなにもできます」(遺族・父 平成25年【2013年】)

父親は設立当初からボランティアとして携わり、後援会などで自身の体験を語ってきました。センターは、「息子が生きた証」と考えています。

「長男が亡くなったことでセンターが立ち上がるのだから、長男が生きていたら、少しでも手伝いたいという気持ちになると思う。長男はしたくてもできない。代わってできるのは自分しかいない」(遺族・父)

18年間、気持ちの整理がつかないと話す遺族にとって、被害者支援の広がりが唯一の救いとなっています。