【現場から、】平成の記憶


2019年2月25日
米朝核危機 打開の影に日本人

今回は、アメリカと北朝鮮をめぐる秘話です。核開発をめぐってアメリカと北朝鮮の緊張が高まった平成6年。事態打開のために米朝の首脳クラスが初めて直接対話に乗り出しました。実は、その影には、ある日本人の存在がありました。

記憶に新しい平成29年。グアムを射程に収める弾道ミサイルなどを次々発射した北朝鮮。この年、6度目となる核実験も強行しました。

「“ロケットマン”は自殺行為に走っている」(トランプ大統領)

アメリカのトランプ大統領は、「自国や同盟国を守らざるを得ないなら、北朝鮮の完全破壊以外、選択肢はない」と強く非難。これに対し、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)党委員長は…

「米国本土全域は我が核打撃の射程圏内にあり、核のボタンは執務室の机上に常に置いてある」(金正恩党委員長)

平成30年、『新年の辞』でアメリカ本土への攻撃までちらつかせましたが、緊張から一転、この年、米朝首脳は直接対話に乗り出したのです。

「デカい手が。僕よりはるかにデカい。指が太い」(日本財団 笹川陽平会長)

日本財団会長の笹川陽平氏。すでに核の疑惑が指摘されていた平成4年、当時の北朝鮮のトップ、金日成(キム・イルソン)主席と単独会見しました。アメリカの脅威を訴える金主席に、こう促したといいます。

「“アメリカとの間にきちっとした関係を結ぶ必要がある”と言うと、(金日成主席が)『どなたか紹介してくれますか』と言うので、“紹介したらどうなります”と聞いたら、『我が国の軍事施設も見せる用意がある』と。(金日成主席は)『地下施設を見せる』と言った、その時」(日本財団 笹川陽平会長)

「地下の軍事施設」の公開まで言及し、対話に意欲を見せたという金主席に、笹川氏は…

「“カーター元大統領は知らない仲ではないので、彼に声かけてみましょうか”と言ったら、(金日成主席は)『ぜひ、お願いしたい』と」(日本財団 笹川陽平会長)

親交の深いアメリカのカーター元大統領との会談を金主席に提案したのです。そのカーター氏は…

「『本当に金日成に会えるのか』と念押しして、(カーター氏は)『もし会えなかったら、自分は元大統領として恥をかく』と」(日本財団 笹川陽平会長)

2年後の平成6年、核施設への査察を拒否した北朝鮮に対し、アメリカが限定攻撃も検討していた緊張のさなか、平壌(ピョンヤン)を訪れ、金主席と会談したのです。

「(アメリカが)いつでも攻撃できる態勢に入っている時に、彼は平壌に入って金日成主席(当時)と会って、(北朝鮮が)『NPT=核兵器不拡散条約に再加盟する』ということを含めて、(カーター氏が)電話をホワイトハウスに入れた。『奇跡だった』、(カーター氏は)『自分が(北朝鮮に)行ったことは奇跡だった』と後ほど述懐している」(日本財団 笹川陽平会長)

米朝の衝突は回避されました。しかし、その後も北朝鮮は危機の演出と対話を繰り返し、朝鮮半島の非核化は達成されていません。そして再び、米朝首脳は交渉します。

「北朝鮮が核を残しながらディール(取引)に成功したならば、北朝鮮がひとつアメリカよりうわてだったということになる。うまく非核化にいけばアメリカのディール(取引)が勝ったということになる。どこに落ち着くか、私には想像つかない」(日本財団 笹川陽平会長)

本当に非核化が動き出すのか、それとも再び緊張が高まるのか。その行方は見通せません。