【現場から、】平成の記憶


2019年2月18日
不法投棄と闘い続ける小さな島

今回は、産業廃棄物の不法投棄事件の現場になった香川県の小さな島の30年です。もとの美しい姿を取り戻す闘いは、今もなお続いています。

瀬戸内海に浮かぶ香川県の豊島。戦後最悪とも言われた産業廃棄物不法投棄事件の現場になった島です。

「島の存亡をかけてみんなが力を結集して、またいろんな人の支援を受けてですね、よくぞここまで来たなという感じですね」(廃棄物対策豊島住民会議 安岐正三事務局長)

かつては、「ゴミの島」とも呼ばれていました。RSKが初めて島の産廃問題を取り上げたのは平成2年のことでした。

「なかには、『豊島』と同じ文字で『としま』と読む豊島区池袋のごみが見つかりました」

ごみを手がかりにたどり着いたのは「東京」でした。浮き彫りになったのは、都会の大量消費のツケが過疎の島に押しつけられているという現実。島では、都会のごみを載せたダンプカーが我が物顔で走り回っていました。

その5か月後。ミミズの養殖をかたり産廃の不法投棄を続けていた業者を兵庫県警が摘発しました。不法投棄は止まったものの、大量のごみが残りました。

「海の砂からみな真っ黒。カニも何も食べられへん。そいでもみんな我慢しとんですわ。あんたは国会のえらもんでしょうが。香川県の県知事さんにちっと意見してください」(豊島住民)

住民たちは豊かな島を取り戻すことを誓いました。その先頭に立ったのが日弁連=日本弁護士連合会の元会長、中坊公平弁護士でした。

「困難であってもとことんまでやっていって、本当に先祖伝来の土地を守るんだということを、本当にどこまでやっていかれる意志があるのかどうか」(元日弁連会長 中坊公平弁護士)

住民は業者に許可を出した香川県の責任を問う公害調停に踏み切りました。島の闘いは「草の根の民主主義」と注目されました。一方、現場などからダイオキシンも検出され、住民の安岐正三さんは、家業のハマチ養殖を断念しました。

「けっして私は加害者ではない、被害者なんやと。それが消費者にとっては加害者的な役割をしてしまうというかなあ。非常に矛盾に満ちたことが今、現実として起きている」(豊島住民 安岐正三さん)

公害調停は、手続き開始から成立まで6年半かかりました。平成12年。香川県は初めて誤りを認めました。

「心からおわびをいたします」(真鍋武紀 前香川県知事)

産廃の量は、当初の想定を大幅に上回るおよそ91万トン。事件発覚から撤去まで30年近い歳月を費やしました。最後の運搬船を見送る安岐さんの手には、中坊弁護団長の遺影が…。公害調停を申請した住民の6割以上が、すでにこの世を去っています。

「たぶん元にはかえせないと思う、私の代ではね。私だってもうそんなに長くは生きない。だから私のできるところまではやって、次の世代ですか、次の人に託していくというんですか、そういうことの繰り返しではないかなと」(廃棄物対策豊島住民会議 安岐正三 事務局長)

産廃はなくなったはずでした。しかし、去年、新たに地中から見つかり、問題の深刻さがより鮮明になりました。法律の大幅な改正など国の廃棄物行政の転換にもなった不法投棄事件です。香川県の小さな島が環境との向き合い方を問い続けています。