【現場から、】平成の記憶


2019年2月15日
元号選定の舞台裏 ~キーマンが証言

いよいよ4月1日に新しい元号が発表されますが、政府は、この新元号を決めるにあたって「平成」の際の手続きを踏襲するとしています。では、「平成」という元号はどのようにして決まったのか。当時のキーマンが舞台裏を明かしました。

「新しい元号は『平成』であります」(小渕恵三 官房長官〔当時〕)

昭和天皇が亡くなった当日に発表された「平成」。元号決定の裏側に何があったのでしょう。当時、元号選定の実務を担ったキーマンは、その責任の重さを、こう振り返ります。

「非常につらかったですね。漬物石を2つか3つ置かれているような状況」(元内閣内政審議室長 的場順三さん)

的場順三さん(84)。昭和天皇が亡くなる3年前、的場さんが内閣内政審議室長に着任した時には、すでに改元の準備は始まっていました。そのことが決して外部に漏れないよう、的場さんは部下と2人だけで秘密裏に準備を進めていきます。

「象徴としての天皇陛下の尊厳の問題に関わる話だから。ご生前、そんなことを準備していることは、漏れたらえらいことになります。国家の危機管理というのがありますから、ひそかに備えておくことが大事」(元内閣内政審議室長 的場順三さん)

的場さんは、何人もの学者に元号の候補作成を極秘に依頼。情報漏洩を防ぐため、一人で学者への訪問を繰り返したそうです。そして、「平成」、「修文」、「正化」の3つの案に絞り込まれます。

読みやすく書きやすい漢字2文字、これまでに使われていないなどの条件をクリアしたものでした。

昭和天皇が亡くなった1989年1月7日。3つの新元号の案が有識者や閣僚による会議の場で初めて議論されました。この時、的場さんは「平成」を推したといいます。

「国の天地にも内外にも平和が満ちるという、これしかないと直感的に思いましたよ。あうんの呼吸で(当時首相の)竹下先生も小渕さんも分かっていた」(元内閣内政審議室長 的場順三さん)

元号は、書類などではアルファベットの頭文字で表されることが多く、「昭和」が「S」で始まることも考慮されました。

「『正化』と『修文』があったが、いずれも(頭文字が)Sでしょ。だから私は平成が一番いいと思いますと、“H”ですと言った」(元内閣内政審議室長 的場順三さん)

極秘裏に、検討に検討を重ねた末、誕生した「平成」。その「平成」が終わろうとしています。

「(平成終わる寂しさは?)寂しいっていえば寂しいけども、気分一新で御代がわりで良い世が来るといい。来る時代が過ぎたことの感慨よりも、これからの時代が良い時代で、僕の孫や子どもの時代が本当に『平成』だったら良いなと」(元内閣内政審議室長 的場順三さん)