【現場から、】平成の記憶


2019年2月14日
超音速「コンコルド」 ~夢の軌跡~

今回は超音速旅客機「コンコルド」です。世界中から羨望の眼差しで見られながらも姿を消したコンコルド。その夢の軌跡を追いました。

平成が始まったばかりの1989年2月、羽田空港にコンコルドが降り立ちました。大喪の礼に参列するフランスのミッテラン大統領を乗せて日本にやってきたのです。1994年には開港したばかりの関西国際空港にもやってきました。デルタウィングと呼ばれる三角形の翼、機首にかけて直線的に伸びた流麗なフォルム。その姿は多くの日本人の心をとらえました。

「これがコンコルドですよ。普通の飛行機とは全く違う独特のフォルムです」(記者)

フランスとイギリスが共同開発し、世界で20機しか製造されなかった貴重な機体がパリ近郊の航空博物館に残されています。最大の特徴は、旅客機として初めての超音速での営業運航でした。最高速度マッハ2.2。パリ―ニューヨーク間をおよそ3時間半で結んでいました。料金は同じ区間を運航するエールフランスのファーストクラスよりおよそ2割高く、機内では3つ星レストランの高級フレンチがふるまわれるなど、まさに夢の旅客機でした。

「コンコルドを操縦できたのはとても光栄だった。ハンサムで賢くて、謙虚な人しか選ばれなかったんだ」(元パイロット ジェラル・デュゲさん)

エールフランスの元パイロット、ジェラル・デュゲさん(85)。30年前にニューヨークからパリまでを2時間59分32秒で飛行した世界記録が自慢です。

「午前11時にパリを出て、同じ日の午前8時にNYに着くんだ。出発した時間よりも早いんだ」(元パイロット ジェラル・デュゲさん)

しかし、夢の旅客機は欠点を抱えていました。超音速飛行により地上に爆音が発生することがあったり、燃費が悪く乗客定員100人では採算がとれていなかったのです。そんななか、運命を決める出来事が。

2000年、パリ郊外で113人が死亡する墜落事故が起きたのです。原因は滑走路に落ちていた金属片を踏んだはずみで燃料漏れが起きたこととされていて、直接コンコルドに問題はありませんでした。それでもその後、メンテナンス費用が高騰。さらに2001年のアメリカ同時多発テロを受け、乗客数が減少したことが追い打ちをかけ、2003年、惜しまれながら営業運航を終了したのです。

不幸な運命をたどったコンコルドですが、世界中の人々の記憶に残り続けています。機体を復元し魅力を伝えているアレクサンドル・ポズデルさんは、超音速旅客機の再来に期待をかけています。

「いま同じスピードで飛ぶ飛行機の計画があるんだ。私はそれに期待しているんだ」(デルタ博物館 アレクサンドル・ポズデル副館長)

実はいま、アメリカのベンチャー企業が超音速機の復活を目指していて、おととしには日本航空が業務提携を発表するなど、開発が進められています。

早すぎた超音速旅客機・コンコルド。その夢は次の時代へと続いているのです。