【現場から、】平成の記憶


2019年2月8日
普天間移設 ~ほごにされた“苦渋の選択”

今回はアメリカ軍普天間基地の移設問題です。平成に入って大きく動き出した移設計画ですが、ある“苦渋の選択”がほごにされていました。

沖縄県名護市辺野古。平成31年の今、アメリカ軍基地の埋立工事が強行されています。

「“地元で合意”をいただいて、そして政府で閣議決定して、辺野古移設が決定したと。そういう経緯があります」(菅義偉 官房長官、去年10月)

政府が主張する地元合意とは一体何か。平成の記憶が問いかけています。

「平和な島を返してください」(沖縄・宜野湾市 県民大会、1995年)

平成7年、アメリカ兵による暴行事件に端を発した反基地運動のうねり。

「普天間飛行場は今後、5年ないし7年以内、全面返還されることになります」(橋本龍太郎 首相【当時】)

日米両政府は普天間基地の全面返還に合意しました。

「決してベストな選択ではありませんが、目前の問題を解決する上では、よりベターな選択であり、確実な前進だと考えます」(稲嶺恵一 沖縄県知事【当時】)

平成11年、当時の稲嶺恵一沖縄県知事は普天間返還の条件とされた県内での移設先を名護市辺野古に決めました。県民生活などを考慮し、15年の使用期限や軍民共用空港とすることなど、条件をつけた上での「苦渋の選択」でした。

「もちろん『苦渋の選択』。あの当時としてはかなり思い切った提案をした。今となっては、みんな消えてしまった」(稲嶺恵一 元沖縄県知事)

政府は条件をほぼ受け入れ、移設方針を閣議決定。その後、政府、沖縄県、名護市は沖合に滑走路を建設する、いわゆる沖合案で合意しました。しかし…

「県の基本的考え方と全く相容れないものであり、沖縄県としては絶対に容認できるものではない」(稲嶺恵一 沖縄県知事【当時】)

平成18年、アメリカ軍再編に伴い日米両政府は移設計画を現在の「V字案」に変更。かつての閣議決定は正式に廃止。合意の前提だった沖縄の条件も一方的になかったことにされたのです。

当時を知る名護市議の大城敬人さんは…

「『V字案』自体は市議会で決議も何もしていない。だから我々議会でやったことないから、これは絶対に認められない。置いてけぼりなんですよ、沖縄は」(名護市議会議員 大城敬人さん)

その後、移設計画は混迷を極めたまま、ついに…

「地元の合意と繰り返す政府ですが、かつて苦渋の選択をした人々は、この変わり行く海の姿を、どんな思いで見つめているのでしょうか」(記者)

「これは非常に残念。ここまでこじれた以上、『沖縄頼むよ』『お願いするよ』、こういう気持ちがある以上は、根本的な解決は非常に難しい」(稲嶺恵一 元沖縄県知事)

地元合意の前提が崩れてから10年あまり。それでも既成事実を重ねていく政府の姿勢が、この問題の混迷を深めています。

「平成の記憶」取材後記

昭和の時代、強制的に作られた米軍基地は、そこから派生する多くの問題によって沖縄県民を脅かしてきました。一方で、基地があるが故に経済的な恩恵を受けてきた歴史も確かに存在します。基地経済への依存度が下がった今も、世代や住む地域によって基地に対する感じ方は様々です。

取材した稲嶺元知事は「いつの時代も県内世論の6割以上は米軍基地に反対だ」「沖縄の問題がデリケートだと、なかなかわかってもらえない」と複雑な県民感情がある中で県政の舵取りを担った当時の苦悩を吐露していました。

今後、辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票も実施されます。改めて示される沖縄の民意は政府に届くのか。今回の取材をきっかけに、平成の時代、解決に至らなかった沖縄の米軍基地問題を巡る県民感情や政府の不条理とより丁寧に向き合っていきたいと思います。

記者:與那嶺 啓

RBC琉球放送 2012年入社
報道制作部 兼 アナウンス室