【現場から、】平成の記憶


2019年2月5日
赤ちゃんポスト ~今も続く“日本で唯一”

今回は、親が育てられない赤ちゃんを匿名でも預かる、いわゆる「赤ちゃんポスト」です。平成19年から熊本だけで運用が続き、これまでに137人が預けられています。

親が育てられない赤ちゃんを、たとえ匿名でも預かる。その計画は平成18年(2006年)に発表されました。前の年、熊本の専門学校生が自宅トイレで出産し、赤ちゃんを死なせる事件がありました。

「相談するところ、できるところがなかったということが、ああいうことにつながって…」(慈恵病院 蓮田太二理事長)

熊本市の慈恵病院は、赤ちゃんポストをシンボルとして予期せぬ妊娠の相談に乗り、犠牲になる赤ちゃんを救おうと決意します。ところが、申請を受けた熊本市は、すぐに許可を出せませんでした。虐待から命を救えるという肯定的な受け止めの一方で、親を知る権利の侵害だと世論を二分し、法律も赤ちゃんを匿名で預ける、預かることを想定していなかったのです。

「匿名で子どもを置いていけるものを作るのが良いのか? 大変抵抗を感じる」(安倍晋三首相、平成19年)

このころ、国内では年間50人以上の子どもたちが虐待で命を落としていて、そのほとんどが乳幼児でした。計画発表から半年後、熊本市長が決断します。

「命をなんとか守る為には、最終手段としてこういった施設も必要なのかと」(熊本市 幸山政史市長【当時】、平成19年)

平成19年、「こうのとりのゆりかご」と名付けられた赤ちゃんポストがついに動き出したのです。わずか2時間後に1人目が預けられたことには、当の病院も驚き、以来、11年間で、乳児だけでなく幼児や障害児、外国人など、137人が全国から預けられました。

「(赤ちゃんポストがなかったら)犯罪者になっていたと思う。(赤ちゃんに手をかけていた?)もしくは2人いっぺんに死んでいた」(赤ちゃんを預けた中部地方の女性)

扉を開けるとナースステーションのブザーが鳴り、看護師などが1分足らずで保護、すぐに医師が健康状態を調べます。里親のもとで元気に育つナオキくん(仮名)は、赤ちゃんポストに預けられた1人です。

「(赤ちゃんポストは社会にあって良いもの?)良いと思います。『その子たちがこの世にいる』という結果が残っているから」(赤ちゃんポストに預けられたナオキくん【西日本在住】)

慈恵病院にならって赤ちゃんポストを作ろうという動きが、これまでいくつかありました。しかし、妊娠相談も含めた経費が重くのしかかることや、医師がいなければ開設を認めないという厚生労働省の見解などから断念が続いています。

また、赤ちゃんポストには「介助のない出産」と「産後すぐの長距離移動」という危険性が指摘されています。そこで慈恵病院は、女性と赤ちゃんを救う別の方法も考えています。

「“内密出産”ができないか、これを少し検討していこうと」(慈恵病院 蓮田太二理事長)

法制化している国もある「内密出産」とは、相談機関にだけ身元を明かして出産し、子どもは成長した後で母親の情報を閲覧できるというものです。ただ、赤ちゃんポストと同じように根拠となる法律などがないため、実現は容易ではありません。

「平成の記憶」取材後記

計画が明るみに出た平成18年当時、長女が3歳、長男が1歳でした。
「こんなに愛しい存在を手放すなんて、日本では何が起きているのか?」
取材を進めると、予期せぬ妊娠の背景に、表に出ない男性の存在、親子関係の崩壊、貧困、国の不作為など、実に様々な問題が見えてきました。

“赤ちゃんポスト”には暗いイメージが付きまといがちで、ネーミングに嫌悪感を示す人もいますが、最初に名付けた団体によるとポストとは「届けたい人に届けてくれるもの」だそうです。

過酷な現実の一方で、預けられたあと希望に満ちた毎日を過ごす子や、育ての親として愛情をたっぷり注ぐ夫婦など、命の輝きにも接してきました。

記者:佐々木慎介

熊本放送 1998年入社