【現場から、】平成の記憶


2019年2月1日
生体肝移植 ~“命をつないだ”親子は

今回は生体肝移植手術です。大きく進歩した移植医療は平成に入って多くの人の命をつないできました。一方で、患者や家族の心身に大きな負担がかかる面もあり、模索が続いています。

埼玉県に住む看護師の横島夏美さん(28)。生後まもなく胆道閉鎖症と診断され、命をつなぐ唯一の方法は肝臓移植しかありませんでした。平成3年6月11日、長野県松本市の信州大学附属病院で、父親の肝臓の一部を移植する手術を受けました。

「自分の体というのは、そんなに気にしていませんでした。娘の命のほうが大事ですよね」(夏美さんの父 横島孝さん)

手術中に大量出血があり、急きょ、信州大学の学生が献血に協力。ひと月後、夏美さんは退院しました。

「皆さんのおかげですばらしい贈り物をいただきました。ありがとうございました」(夏美さんの母 横島春美さん)

命を救ってもらった恩返しをしたいと、医療の道に進んだ夏美さん。拒絶反応を抑える薬は欠かせないものの、日常生活に支障はありません。

「いい時代に生まれてよかったなって。もうちょっと早かったら生きていられなかったのかな」(横島夏美さん)

夏美さんの移植を行ったのが、東京の病院で名誉院長を務める幕内雅敏医師(72)。幕内医師が率いた信州大学のチームが平成2年に行った生体肝移植手術の患者は、国内で初めて手術のあと1年以上生存し、現在も世界最長記録を更新しています。

「成功するかしないかは上の人(神様)が決めることだから。やるべきことはやってあとは祈りの世界」(東和病院 幕内雅敏名誉院長)

生体肝移植とは、肝臓が再生する性質を生かし、ドナーの肝臓の一部を切除して患者に移植する手術です。これまでに9000件にのぼる手術が行われ、日常の医療となりました。

3人の娘がいる東京の筒井亮さん(41)は、中学3年生の時に劇症肝炎と診断され、東京からヘリコプターで信州大学に運ばれました。手術前、筒井さんはすでに意識がなく、父親の君夫さんからの肝臓移植を知ったのは手術のあとでした。

「『亮くんの肝臓なくなっちゃったから、お父さんのもらって入れたよ』みたいな軽い感じで。本当に先生は笑い事のような感じで話してくれて」(筒井亮さん)

「最後の手段ということに関しては、任せるという気でした」(亮さんの父 筒井君夫さん)

しかし、君夫さんは手術のあと、体調不良に苦しみました。

「自分の体が本当に何とも言えない、生きた心地がしないというか」(亮さんの父 筒井君夫さん)

健康な人の体にメスを入れることの是非や、患者の家族なら提供が当然との風潮を生み出す可能性が指摘されていた生体肝移植。一方で、脳死肝移植の件数が徐々に増えていて、日本の移植医療は少しずつ変わり始めています。

「ドナーは(脳が)死んでいる人だからね。それが生体肝移植とは大きく違う。(脳死肝移植も)これからどんどん増えると思う」(東和病院 幕内雅敏名誉院長)

平成の間に大きく進歩した移植医療は、これまでは諦めざるを得なかった多くの命を救っています。

「平成の記憶」取材後記

取材中、何度も思ったのが、「この医療がなかったら今この人たちはここにいないのだ」ということです。夏美さんは移植手術前、他の手術を3回ほど行いましたが、病状は改善しませんでした。筒井さんは手術の数日前、最後になにが食べたいか聞かれ、もう自分は生きられないのかと、死を覚悟したといいます。その人たちが、いまや完全に「復活」しているのです。夏美さんは「時代が生かしてくれた」と話しました。

一方で、生体肝移植にデメリットが一切ない、というわけではありません。生涯免疫抑制剤を飲み続けることで、他の人より体調を崩しやすく入院も多かったといいます。また、「家族はドナーとなって当たり前」「もしドナーにならないなら助けたい気持ちがないからだ」という、悪しき風潮を招きかねません。なにより、健康なドナーが、人によっては「生きた心地がしなかった」と表現するほどつらい思いをします。

脳死も含め、今後も移植技術の進展はあるのか、移植にかわる医療技術は見えているのか。いまや当たり前となっている医療だからこそ、今後の進展についても引き続き取材を重ねていきたいです。

記者:小林沙良

SBC信越放送
2018年入社 県警担当