【現場から、】平成の記憶


2019年1月29日
総理官邸 ~“メディア戦略”の変化

今回は総理大臣とその声を報じるメディアとの向き合い方を振り返ります。政権の命運にも直結するそのメディア戦略は平成の時代に大きく変化しました。

総理に近寄り、二言三言、言葉を交わす記者。これは平成11年の旧・総理官邸の様子です。「総理番」と呼ばれる担当記者が総理を追いかけて話を聞くというスタイルは長年続いていました。それを一変させたのは、平成13年の小泉政権の誕生です。

「千秋楽」(記者)
「良い相撲だったな、感動したよ」(小泉純一郎首相〔当時〕)
「きょう、東京で桜が開花した」(記者)
「春か、春風だな」(小泉純一郎首相〔当時〕)

小泉総理は1日2回、“ぶら下がり”と呼ばれる会見を始めました。特にテレビカメラの前で行われた夕方の“ぶら下がり”は永田町の常識を変えました。

「小泉総理は自分の発言はオフレコなし」(飯島勲氏)

秘書官として小泉総理を支えた飯島勲氏は当時、こんなルールを決めていたと明らかにします。

「極力、総理からワンフレーズで答えるようにしてもらう。質問をさせて正直に答える。時間制限なし」(小泉首相の元秘書官 飯島勲氏)

記者には自由に質問させ、それにあえて簡潔な言葉で答える。テレビのニュースを意識したスタイルは、小泉氏のキャラクターを印象づけます。その威力が最も発揮されたのが…

「郵政民営化だけ反対の国民は自民党に入れるべきではないのか」(記者)

「これも含めて、郵政民営化賛成か反対か聞いてみたい」(小泉純一郎首相〔当時〕)

郵政民営化の是非を問うた「郵政選挙」。民営化に反対する自民党の議員は公認せず、刺客候補を送る手法で、敵味方をはっきりさせるという“劇場型”の選挙戦を展開。結果、圧勝したのです。

その後の歴代内閣も“ぶら下がり”を総理大臣の武器として活用しようとしてきましたが、小泉政権ほどの強い発信には至りませんでした。そして…

-2011年3月11日-

東日本大震災の対応に集中するためとして、当時の菅総理は“ぶら下がり”会見を中止。その後、定例の“ぶら下がり”は行われていません。

「私は伊勢神宮参拝のため、新幹線で名古屋に向かっています」(安倍首相のインスタグラムより)

いまの安倍政権がメディア戦略として特に力を入れているのはSNSの活用です。インスタグラムは頻繁に更新、リラックスした様子の写真を公開し、親しみやすさもアピールしています。一方で、“ぶらさがり”に応じるのはあくまでも「政府が必要と判断したとき」です。飯島氏は「これも一つのメディア対策」としながら「一長一短ある」とも指摘します。

「批判の報道も結構増えてくると思う、(総理の)心が読めませんからね。副長官とか補佐官とか含めて“総理はこうです、この問題はこうなんです”ということを言ってもらえれば良い。もうちょっと語り部が官邸にいた方が良いかな」(小泉首相の元秘書官 飯島勲氏)

平成の次の時代、政権はメディアにどう向き合い、そして国民に何を伝えようとするのでしょうか。