【現場から、】平成の記憶


2019年1月22日
平成の大合併 ~中津江村の苦渋の決断

今回は平成の大合併です。日韓サッカーワールドカップで一躍有名になった大分県の中津江村。苦渋の選択を迫られた当時の村長が「本音」を語りました。

小泉政権下の三位一体改革として進められた「市町村合併」。平成11年に3232あった全国の市町村は現在1741となり、およそ半分に減りました。当時、人口1300人ほどだった大分県中津江村も平成17年3月22日、日田市に編入します。

「涙が出るとか言うけれど、出るのが本当だと思いますよね。卒業みたいなものだと涙が出るというのが心情じゃないか」(中津江村 坂本休村長〔当時〕)

中津江村を一躍有名にしたのは、日韓サッカーワールドカップ。5日遅れで到着したカメルーン代表を村民挙げて歓迎しました。

「もう新しい朝が来ましたけれども、ボンソワール(こんばんわ)かな。ジュマペール カメルーン(私の名前はカメルーンです)」(中津江村 坂本休村長〔当時〕)

その様子が脚光を浴び、「中津江村」がその年の流行語大賞を獲得。日本で最も名の知れた村となり、住民とカメルーンとの交流も続きました。しかし…

「合併の印鑑を押した者としては手先が凍る思いが今もします」(中津江村最後の村長 坂本休さん)

日田市との合併を選択した中津江村。国が地方交付税を減らしていく中で、村だけでは過疎化を乗り切れないと考えた末の決断でした。

「やっぱり責任を感じた年であった。自治体の力がない者にとってはやむを得なかったことだが、本当寂しいね」(中津江村最後の村長 坂本休さん)

あれから14年、村役場は市の出先機関となり、合併前に42人いた職員は12人にまで減りました。小中学校はあわせて1校になり、銀行の出張所もなくなりました。人口は合併前と比べ4割も減少しています。

厳しい行財政改革を求めた平成の大合併以降、地方の借金はほぼ横ばいに。一方、国の借金は膨張を続けています。国は説明責任を果たすべきと坂本元村長は憤ります。

「『合併をしましたからこれだけの現在効果がある』と、その試算は説明する責任が国にはあるんじゃないかと思う。皆さん無念な思いで合併して寂しい思いをしているけど、これだけ国が健全になったとか、あなた方には今までこれだけしか交付できなかったけれど、回りまわってこれだけのことが今できていますとか、これは黙って知らん振りしててもおかしい。なんかむなしいですよ」(中津江村最後の村長 坂本休さん)

ブームのように過ぎ去った平成の大合併。痛みを強いられた人々にとって、改革の名は空虚なものでしかありません。

「平成の記憶」取材後記

中津江村は2002年の日韓サッカーW杯で一躍有名となりましたが、遅刻騒動のカメルーンとは17年が経った今でも交流が続いています。その後、村は合併の道をたどりますが、去年「中津江むらづくり役場」という住民自治組織が発足しました。道路の草刈りや祭りの準備など、地域の困りごとを解決するための活動を始めようとしています。「自助・共助・公助」のうちの、まさに「共助」にあたる部分で、自分たちの地域は自分たちで守ろうという考えを具体化したものだと言えます。

市町村合併の結果、公助の比率が下がり、自助・共助の比率が上ったのならば合併が住民にもたらすメリットは何だったのでしょうか。私たち記者も都市部に住むこともあり、地方の現状は足を運ばなければ見えてきません。人口減少社会の中、田舎はどうあるべきなのか?地方局の記者として取材し続けなければならないテーマの1つです。

記者:古城秀明

大分放送 報道部