【現場から、】平成の記憶


2019年1月17日
震災で壊滅“靴の町”復活への挑戦

今回は阪神・淡路大震災です。かつて靴の町として有名だった神戸市長田区。壊滅的な被害から新たな世代が新たな試みで復活を目指しています。

地震発生間もない神戸市長田区です。住宅密集地で発生した火災は、狭い路地が消火活動を阻み、瞬く間に燃え広がりました。およそ7割に当たる4800棟の家屋が全焼となりました。

「(近くを走る)国道から見たら残っていると思ったんよ。でもえらく背が低くなったなと思って。前から見たらもうダメやったから、もうがっかりですわ」(靴メーカー社長・谷山元保さん)

靴メーカーの社長、谷山元保さん(当時46)です。ビルの1階は靴の製造工場でした。2階に入ってみると…

「こんだけめくれ上がってんねん」(谷山元保さん)

Q.これは?

「これは1階にある機械」(谷山元保さん)

当時、長田は靴の町として全国的に有名でした。色とりどりの合成皮革を使った靴は安くて丈夫で、若い女性を中心に人気でした。平成2年にはケミカルシューズの国内シェア80%を超えていました。

40人いた従業員は奇跡的に全員無事でした。そのため、地震発生から1か月半後、別の場所を借りて靴の製造を始めていました。あれから24年、現在70歳になった谷山さんは、当時をこう振り返ります。

「従業員は遠方やのに歩いて集まってくれて、(1月分の)給料一人ひとり渡して、3月1日からはじめるために頑張るからっていうので、いったん解散して急ピッチで」(谷山元保さん)

地震の影響は大きく、長田区では靴工場の半分の110社が工場をたたむことになります。また、残った会社も平成12年以降は中国をはじめとしたアジア勢の安い輸入靴に押され、減少の一途をたどりました。

「3、4年は、まだよかったと思いますわ。それからみんなが中国にメーカーを見つけてからは、長田地区は悪くなる一方で…」(谷山元保さん)

そんななか、新たな希望の光も見え始めています。地震がきっかけで跡を継ぐことを決めたという次男の貴彦さん(45)です。

「今までにないパンプスを作り上げようということで、昨年できあがりました。様々な形を全社で知恵を出し合う」(谷山貴彦社長)

ターゲットは「働く女性」。長田の熟練の靴職人が上質な合成皮革を使い、長時間はいても疲れない機能性を追求しました。価格は1足、1万6000円。はきやすさへのこだわりは、販売方法も変えました。

「右足も左足も同じサイズで売っているのが通常ですが、0.25センチ刻みで、なおかつ、右足と左足をバラバラに買える」(谷山貴彦社長)

貴彦さんの同世代の社長ら6人が趣旨に賛同。それぞれが独自の靴づくりのノウハウを出し合いました。

「古い考えでは無理だと思って、一気に現社長に譲った」(谷山元保会長)

「今までにそういう動きなかった。メイドイン神戸の靴の良さを全面に押し出す」(谷山貴彦社長)

これまでになかった新しい神戸長田ブランドを目指して一歩を踏み出しています。

「震災24年 靴の町・長田の歩み」取材後記

靴メーカーを継いだ社長の谷山貴彦さんは当時学生でした。地震前日に留学でアメリカに飛び立ち、空港に着いた瞬間に長田が燃えているニュースを見て言葉を失ったといいます。全く別業種に就職しようと考えていた谷山さんは、この地震がきっかけで、技術を絶やさないために「家業を継がなければ」と考えたといいます。

市場が縮小する中前途多難ではありますが、今は「神戸ビーフに次ぐ神戸ブランドを目指す」と谷山さんは意気込みます。

1995年3月生まれで震災は経験していませんが、同じ長田区に生まれた私も、記者として、「継ぐ現場」を取材し今後も伝え継いでいきたいと思っています。

記者:辻本敬詩

毎日放送2017年入社
去年7月から神戸支局勤務
阪神淡路大震災の2か月後に神戸市長田区で生まれ、育つ