【現場から、】平成の記憶


2019年1月8日
武闘派暴力団との熾烈な戦い

今回は、「極めて凶悪」とされた武闘派暴力団との30年です。「息の根を止める」と決意した捜査当局。その熾烈なせめぎ合いを振り返ります。

「実行犯そして首謀者を徹底的に追い詰めていきます」(福岡県警 樋口眞人本部長 【当時】)

5年前、福岡県警の本部長が口火を切ったのは、市民の巻き添えもいとわない武闘派として知られていた暴力団「工藤会」との全面対決です。「頂上作戦」と名付けられたこの捜査を警察と一体となって指揮した当時の福岡地検のトップ、土持敏裕氏(63)は…

「未解決事件を波状的に解決、起訴して、完全に息の根を止めるしかない」(「頂上作戦」を指揮した 土持敏裕氏)

そもそも暴力団の定義が初めて生まれたのは、平成初期の1992年に施行された対策法です。これを機に、福岡県では全国で最も多い5つの団体が指定暴力団に認定されました。

「暴力団と対じしながら不当行為を摘発する対決の姿勢に変わっていった」(元福岡地検検事正 土持敏裕氏)

捜査当局の姿勢の変化をあざ笑うかのように一蹴していたのが、のちに工藤会となる前身組織のトップです。

「壊滅といっても我々はどうせ裏でつながるから、犯罪はやりやすくなる。殺人下請け会社とか窃盗下請け会社とかができる」(工藤会の前身組織【当時】 溝下秀男総長)

この不敵な笑みから12年後、暴力団追放の旗振り役だった男性が経営するクラブに手りゅう弾が投げ込まれ、従業員11人が重軽傷を負います。

「車がぶつかるより激しい音だったんですよ」

さらに、このころ別の2つの暴力団による抗争も激化。2007年には佐賀県武雄市の病院に入院していた男性が暴力団の関係者と間違われ射殺されました。

福岡県では、こうした抗争などに絡む発砲事件が毎年のように10件を超える異常事態に。警察に対してもこのありさま…。凶悪事件を一向に解決できない警察への信頼は、大きく揺らいでいました。

この状況を一変させたのが、5年前に始まった工藤会に対する「頂上作戦」だったのです。通信を傍受することで殺人事件などへの上層部の関与を次々と立証していき、組織の中枢にいた幹部を相次いで立件しました。

「福岡の事件や福岡の現状が日本の刑事司法を変えた」(「頂上作戦」を指揮した 土持敏裕氏)

ついには、警察、検察、国税が一体となって、工藤会のトップを上納金をめぐる脱税容疑で逮捕するに至ります。

「安全な街に着実に環境が整いつつある」(北九州市 北橋健治市長)

暴力団に対する社会の厳しい風当たりを反映するように、平成の30年間で全国の組員の数は半分以下に減りました。それでも今なお残る勢力を根絶するまで、捜査当局の取り組みは続きます。