【現場から、】平成の記憶


2019年1月5日
重油漂着に立ち向かった人たち

5日は、22年前に日本海で起きたタンカー「ナホトカ」の沈没事故です。豊かな海を取り戻すため、海岸に漂着した大量の重油に立ち向かった住民とボランティアの記憶をたどります。

青く澄んだ日本海。今から22年前、この豊かな海が危機に瀕した未曾有の事故が起きました。平成9年(1997年)1月。島根県・隠岐島沖の日本海でロシア船籍のタンカー「ナホトカ号」が沈没。およそ6000キロリットルの重油が流れ出し、汚染は島根県から秋田県の海岸に及びました。

「私たちの宝の海だったの」(住民)
「もう本当に海が死んでしまったようだ」(住民)

破損した船首が流れ着いたのは、福井県坂井市三国町。観光と水産を支える海は住民の生活そのものでした。

「船首部分が着いてから大量にオイルが出た。あのときに海はアウトだと思った」(雄島漁業協同組合 下影努組合長)

海を取り戻そうと重油の回収作業に立ち上がったのは、住民や全国から集まったボランティア。しかし、そんなボランティアたちを容赦なく真冬の日本海の寒さが襲います。

「気分が悪くなった場合、救護所か、最寄りの医療機関にご相談ください」

終わりの見えない重油との闘いのさなか、作業中のボランティアが寒さや過労で倒れ、帰らぬ人となる事態も起こります。さらに、一部の現場にはボランティアが集中します。

「ここに数千人の人たちが集まってきて、『何をしたらいいんだ』と聞いてくる」(三国町ボランティア本部【当時】 長谷川啓治さん)

建設・不動産業を営む長谷川啓治さんは、ボランティアの受け入れ組織が必要だと考え、地元の仲間とともにボランティア本部を立ち上げます。

「大きくボランティアの考え方が変わったと思った。各地でいろいろな災害が起きたときに、地元の人たちが中心でボランティアが芽生えて、受け入れのスムーズな態勢ができる」(三国町ボランティア本部【当時】 長谷川啓治さん)

事故からの4か月で活動したボランティアの数は全国で延べ28万人。ナホトカ号重油流出事故からの復活は、ボランティアが成し遂げた奇跡と称えられるとともに、その受け入れ態勢を見つめ直すきっかけにもなりました。

その後、撤去されたナホトカ号の船首の一部は、今、アート作品として福井市内に展示されています。

「世界の人が、そのとき100万人くらいの人がボランティアや義援金をくれた。そういう気持ちは大事にしないとダメだと思う」(ナホトカ号船首を展示 髭分真二さん)

未曾有の危機をもたらしたナホトカ号の災害と、それを乗り越えた住民やボランティア一人一人の小さな力の結束。青い日本海の美しさとともに守り続けなければならない教訓を今に残します。