【現場から、】平成の記憶


2018年12月27日
伝説のキャバレー、58年の歴史に幕

この年末に58年の歴史に幕を下ろす「伝説のキャバレー」があります。この店はなぜ、多くの人に愛され、記憶されてきたのでしょうか?

平成は、日本中がバブル景気に沸く中で始まりました。今、その平成の終わりに、“伝説”と呼ばれた夜の店が幕を閉じようとしています。

東京・赤羽にあるキャバレー「ハリウッド」。1号店の誕生は1960年。最大50店舗を構え、“キャバレーの代名詞”とまで名をはせたハリウッドのここは、最後の店です。

オーナーは、政治家や映画俳優など多くの著名人との交流でも知られた福富太郎さん。長者番付のトップにも登りつめ、“キャバレー太郎”の異名をとりました。モットーは、金持ちじゃなくても楽しめる「健全な大衆キャバレー」。1964年、東京オリンピックの年には、銀座に、広さ1000坪、800人ものホステスを抱える店をオープンさせました。

「(オープン当初は)非常に警察がうるさくて、ちょっとお色気的なことをやって、立ち入り検査に年中来て、新聞が読めない(明るさの)店はダメ。読めなかったら営業停止と言われた」(「ハリウッド」オーナー・福富太郎さん)

しかし、やがてバブルは崩壊。日本の経済は長い低迷期に入ります。

「私らが悪いんであって、社員は悪くありませんから!」(山一証券・野澤正平社長)

 ハリウッドも、店の数は減っていきました。それでも、福富さんは、1億円をかけて店を“大正ロマン”風に改装し、ホステスも和服姿に。あえて、時代に逆行する手法で、強気の経営を貫きました。

「こんな不況でキャバレーをオープンするなんてのはバカ。つぶれれば面白いなと思われている。もし繁盛したら愉快」(福富太郎さん)

その福富さんも今年5月、86歳でこの世を去りました。それに伴い、最後まで残ったこの店も12月30日まで。ついに58年の歴史が幕を閉じます。

今も残るホステスたちは、この店だからやってこられたと話します。

「(働いたきっかけは)親が病気になって、生活がちょっと苦しくなったので。とても働きやすい職場で、店のスタッフもすごく親切にいろいろ教えてくれた」(8年以上在籍するホステス)

 ハリウッドはキャバレーの中に託児所があります。子持ちのホステスでも、安心して長く働けるようにと作られたものでした。

「(娘が)4歳の時、託児所に預けていた。(勤務中も)心配しなかった。ありがたいですね」(在籍10年のロシア人ホステス)

店は、閉店が決まった時から、連日満員です。何十年も通ってきた常連客。ハリウッドで、酒の飲み方以上のものを教えてもらったと話します。

「(Q.何を学んだ?)人生勉強だね。お客さんもそうだし、ホステスさんもそうだし。いろんな世界の方がいろんな苦労している方がいるから、平成と一緒にハリウッドも終わる。やっぱりさみしいよね」(40年以上通う常連客)

また一つ消えていく夜の街の輝き。けれど、伝説のキャバレーは、時代の記憶の中に残り続けます。

「平成の記憶」取材後記

今年5月に老衰で亡くなった、オーナーの福富太郎さん。「ハリウッド」北千住店では、太郎さんを偲ぶ“キャバレー葬”が行われ、芸能人やスポーツ選手など、多くの関係者が駆けつけました。その司会を務めたのが、TVプロデューサーのテリー伊藤さん。常連客だった、みのもんたさんの姿もありました。政治家をはじめ、多くの著名人に愛された、老舗キャバレーの閉店。それと同時に、昭和と平成を駆け抜けた、キャバレー文化そのものも、幕を閉じようとしています。

昭和は最後、バブル真っ只中に生まれ、踊る日本の夜の街を、ほとんど体感せずに育った私は、当時のキラキラした街の煌めきに、いつも憧れを抱いてきました。特に、阪神淡路大震災を経験してからは、街の明かりこそが、希望の灯火でした。その時代の温もりが残った、最後の店が消えゆくのは寂しいですが、最近では「ハリウッド」のような歌謡ショーを、現代風にアレンジして売り出す、新たな形態の店も出てきています。多様化する夜の街を、時代を超えて、これからも見つめていきたいと思います。

記者:加古紗都子

TBSテレビ2009年入社
神戸市出身 社会部で東京都庁・五輪を担当