【現場から、】平成の記憶


2018年12月26日
オウムに翻ろうされた村 後世に残す記録

今回は、「オウム真理教に翻弄された村」です。教祖ら13人の死刑執行で、事件は今年、大きな節目を迎えましたが、かつて教団の拠点があった山梨県の旧上九一色村は、事件の風化防止に向け動き出しています。

平成7年(1995年)に起きた地下鉄サリン事件をはじめ、数々の凶悪犯罪で世間を震撼させたオウム真理教。その教団が富士山の麓の酪農地帯・山梨県の旧上九一色村、今の富士河口湖町に拠点を築き始めたのは、平成元年(1989年)でした。

住民を監視するなど異様な集団に対し、追放運動も始まりました。

「運動したのは正しかったよね。本当に正しかったよ。何か起こすし、早くしなきゃやばいぞと思った通りだもの」(当時の富士ケ嶺区長 江川透さん)

当時の区長・江川透さん(82)は、教団との激しい戦いの日々をこのように振り返ります。

平成7年、地下鉄サリン事件の直後には、化学兵器「サリン」の製造工場など教団の拠点を、警察が強制捜査。教祖の麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚ら、幹部の逮捕につながりました。あれから23年、今年7月に一連の事件で死刑が確定した13人全員の刑が執行され、事件は平成の終わりに大きな節目を迎えました。

「色々な意見があるが、私は時期的に遅いとも早いとも思わない。日本中でどうかは知らないけど、富士ケ嶺地区はこれで一区切りだなと」(江川透さん)

江川さんがこのように述べる一方、教団との戦いに向き合った住民の中には、真実が語られないままの死刑執行に無念さを訴える人もいます。

「なんのためにここへ来て、どうしてサリンを作らなければならなかったのか。それを地下鉄に使って、ああいう事件を起こした。なんでなのか。解明されていない心残りで、悔しいですかね」(元オウム対策副委員長 竹内精一さん)

現在、教団の施設は全てが取り壊されて空き地へと変わり、旧上九一色村も市町村合併で名前がなくなりました。かつてオウム真理教がこの地に存在したことを伺えるのは、公園の一角にひっそりと佇む慰霊碑だけです。地元では、死刑執行により事件の風化が進むことを懸念し、新たな動きが出ています。

「ヘルメット、ガスマスク関係したものがここに残っている。今から整理して永久に残すかどうか」(江川透さん)

いずれも、「サティアン」と呼ばれた教団施設に残されていたものです。このほか、住民が当時、教団の動きを記録した日誌など、およそ50種類の関連資料が30年経った今でも公民館の一室にあります。

「追放運動はして、とことんまでやったけど、こういうものは粗末にしたら悪いと思う。だって1つの歴史だもの」(江川透さん)

一般には公開されていませんでしたが、江川さんは今後、当時のオウム対策委員会のメンバーらと、保管、管理、公開について、具体的に検討することにしています。

「各家庭で、たまにはオウムの話をして欲しい。もう忘れてしまった、終わりだと安心しないで」(江川透さん)

戦いの日々や一連の凄惨な事件をどのように後世に語り継いでいくか、死刑が執行された今、住民は改めてこの問いと向き合っています。