【現場から、】平成の記憶


2018年12月18日
自衛隊 活動範囲“世界”に

今回は、活動範囲を広げる自衛隊です。平成に入って初めて自衛隊は海外で実際の任務に就きましたが、きっかけは、あの戦争をめぐるトラウマでした。

湾岸戦争。平成2年8月2日のイラクによるクウェート侵攻がきっかけとなったこの国際紛争が、自衛隊海外派遣のターニングポイントでした。

当時、日本のリーダーは海部俊樹総理。元総理秘書官の折田正樹氏は、侵攻から12日後、アメリカからこんな要請があったと明かします。

「8月14日、ブッシュ大統領から海部総理に電話がありまして、米軍は展開したと、イギリス・フランス、オランダ・オーストラリアも海軍を派遣する」(海部首相の秘書官【当時】 折田正樹氏)

アメリカから求められた多国籍軍への協力。海部総理は「軍事的な海外派遣は憲法上の制約があって、できる状況になっていない」と答えたといいます。

電話の15日後、日本は多国籍軍への10億ドルの資金提供を決定。しかし…

「アメリカ議会が『too little too late』と(少なすぎる 遅すぎる)」(折田正樹 首相秘書官【当時】)

最終的に日本からの支援は130億ドル(1兆7000億円)近くにまで膨れ上がることになりました。

ところが、クウェート政府が出した感謝広告に日本の名前はなく、国際貢献のあり方が問われることになります。

そして、停戦直後の平成3年4月、政府は機雷除去のため、ペルシャ湾に掃海艇を派遣。これが自衛隊の実任務としての初の海外派遣となったのです。

「日本は単に経済大国になって、それで幸せでは済まない。経済が大きくなったら大きくなっただけのふさわしい責任を果たしていく必要がある。海部総理の信念でした」(折田正樹 首相秘書官【当時】)

これ以降、政府は平成4年、PKO(国連平和維持活動)協力法を。平成15年には、与野党が激しく対立する中、人道復興支援目的でのイラク特別措置法が可決・成立。自衛隊の活動範囲は広がります。

一方、そのイラクに派遣された自衛隊の内部映像からは、深夜、宿営地に迫撃砲が撃ち込まれるなど、隊員が危険と直面する実態がうかがえます。自衛隊が目の当たりにした国際貢献の現実。それでも“国際貢献の流れは変わらない”。自衛官25万人のトップは強調しました。

「“動く自衛隊”に今入っている認識。世界の国際社会の平和と安定のために、日本は積極的に貢献することが必要。最終的には政治の決断ですが、流れは恐らく変わらない」(河野克俊 統合幕僚長)

アメリカが攻撃を受けた場合などを想定し、限定的としながらも、集団的自衛権も認める安保法制もスタートした平成。既に米艦防護やアメリカ海軍のイージス艦への洋上給油が始まり、海外に派遣される自衛隊には、新任務の「駆けつけ警護」などが付与されています。

自衛隊の活動の範囲と担う役割は今後、どこまで拡大していくのでしょうか。