【現場から、】平成の記憶


2018年12月12日
「酒鬼薔薇」事件捜査一課長が語る

今回は平成9年に起きた神戸連続児童殺傷事件です。当時、捜査の指揮を取った捜査一課長が、初めてテレビカメラの前で語りました。

21年前の平成9年(1997年)5月。事件は、神戸市須磨区の普段は静かなベッドタウンで起きました。

「淳君の口に挟まれていた白い紙ですが、そこには鬼薔薇と書かれていたことに加えて、新たに捕まえてみろという内容の言葉が書かれていたことがわかりました」(当時の記者のレポート)

中学校の正門に切断された児童の頭部が置かれるという猟奇的な犯行は、社会を震撼させました。

さらに…
「さあゲームの始まりです」(犯行声明文)

「酒鬼薔薇聖斗」と名乗る人物から、地元の新聞社に挑発的な犯行声明文が届きます。

当時、捜査の指揮を取っていた兵庫県警の元捜査一課長・山下征士さん(80)。当時をこう振り返ります。

「まさかこういうところで、特異な事件が起こるとは、思いもしませんでした」(山下征士さん)

現場付近で目撃された30代の男などが容疑者として浮上と報道される中…
「被疑者は神戸市須磨区居住の中学3年生。A少年、男性14歳です」(兵庫県警・捜査一課長 山下征士さん 当時)

犯人は14歳の中学生でした。その後、他にも小学生4人を殺傷していたことが明らかになり、少年による連続殺傷事件として知られることになりました。殺害現場となった通称「タンク山」には、慰霊碑が作られています。

捜査本部は、犯行声明文や現場の捜査員の情報などから、捜査の早い段階で少年の犯行とみていました。

「あの文章(犯行声明文)を見て、いくつか特徴があるなという感じは持ちました。子どもに関係するんじゃないかと思いました」(山下征士さん)

当時の捜査資料です。少年の犯行だったため、どんな細かい情報でさえも慎重に裏付け捜査を繰り返し、国内、国外の過去の未成年の犯行事例なども調べました。結果、逮捕までにおよそ1か月かかりました。

「現場には(情報が)あれ以外にたくさんある。こういう人物・こういう車があったと。それを早く打ち消すべき内容だった。それができなかったのが、大きな反省点になっています」(山下征士さん)

平成12年(2000年)、少年法厳罰化へのきっかけともなった神戸連続児童殺傷事件。その後の少年犯罪への向き合い方を大きく変える転換点となりました。

「平成の記憶」取材後記

捜査の指揮をとっていた兵庫県警の元捜査一課長・山下征士さんの口から語られた捜査の内幕は驚きの連続でした。

マスコミが現場付近で目撃された「30代の男」に注目する中、捜査本部は早い段階から“少年”の犯行とみて秘密裏に捜査を進めていました。それは徹底していて、一部の捜査員が裏帳場として捜査本部とは別の場所を借り上げていました。“裏帳場”の存在を知っていたのは警察でも幹部6人だけだったといいます。犯人が少年だったため、情報管理を徹底し、捜査を慎重に進めるためにとった策だったとのこと。事件から21年経って、初めて明らかになった事実でした。

一方で、山下さんは今でも悔やんでいることがあります。「酒鬼薔薇」事件が起きる前に、付近で起きていた連続通り魔事件で、少年を捕まえられなかったことです。

この事件を機に、少年法は改正され、厳罰化が進むなど社会に大きな影響を与えました。事件を教訓として伝えていくためにも、今後も様々な取材を続けていきたいと思っています。

記者:柳瀬良太

毎日放送
大阪府警担当 サブキャップ
二課・四課担当