現場から、SDGs 2030年の世界へ

2020年2月9日【TBSテレビ】
戦後75年、オランダの戦後補償

持続可能な社会を実現するために不可欠なこと。それは争いや暴力をなくすこと。戦後75年。日本から、世界から、考えます。

第2次世界大戦中、ナチス・ドイツに占領されたオランダは、ユダヤ人を迫害から守れなかったという負の歴史も持っています。首相が先月、初めて謝罪するなど、戦後75年を経た今も過去の歴史と向き合うオランダの人たちを取材しました。

失われたユダヤ人ら10万2000人の命。その1人1人の名前が、ナチス占領下のオランダにあったウェスターボルク強制収容所で6日間にわたって読み上げられました。その中には「アンネの日記」を書いたアンネ・フランクの名前もあります。

ウェスターボルク強制収容所は、アウシュビッツなど大量虐殺できるガス室を備えた収容所に移送するための中継施設です。

移送に協力していたのは、国営のオランダ鉄道でした。数少ない生存者のこの男性。向かった先は自らを移送した列車の線路です。

「母は電車の中で亡くなりました。ここから移送された人は、ほとんどが戻りませんでした」(生存者)

両親をナチスに殺害されたユダヤ人のサロ・ムラーさん(83)。6歳だったある日、幼稚園に送り届けられた際、かけられた言葉が母からの最後の言葉となりました。

「母は『また今夜ね。良い子でいてね』と」(サロ・ムラーさん)

両親はナチスに連れ去られ、オランダ鉄道で移送された後、アウシュビッツで殺害されました。

「私は昼も夜も泣いて『両親に会いたい』と叫びました」(サロ・ムラーさん)

叔母夫婦のもとでナチスから隠れて生活し、終戦を迎えたムラーさん。ナチスから多額の資金をもらい、協力していながら責任を認めないオランダ鉄道を許すことができず、賠償金の支払いを求めました。

「両親の苦しみに対する復しゅうを私は約束しました」(サロ・ムラーさん)

2005年、オランダ鉄道は初めて謝罪し、去年、生存者や遺族に対し1人あたり最大で180万円の賠償金を支払いました。

「お金ではなく謝罪が欲しかった。まだ300人の生存者がいるので、遅い謝罪だが遅すぎではなかった」(サロ・ムラーさん)

そして、戦後75年となった先月、オランダの首相はナチスの迫害からユダヤ人を守らなかったとして、オランダ政府として初めて謝罪しました。

「まだ生存者がいるうちにオランダ政府を代表し謝罪します」(マルク・ルッテ首相)

ウェスターボルク強制収容所での追悼式では、近隣のドイツとオランダの市長がともに犠牲者の名前を読み上げました。

「私たちは過去の過ちを忘れず、記憶を継承し続けなければならない」(ドイツの市長)

「互いを理解できないときに起きる悲劇を私たちは忘れてはならない」(オランダの市長)

失われた10万2000人の命。被害者の祈りと加害者の反省に終わりはありません。