【現場から、】西日本豪雨災害

【現場から、】2018年7月23日(月)

土砂災害、石碑が記す危険箇所

豪雨被災地・広島でも復旧作業が続いています。現場からの報告です。

広島県坂町では、連日の猛暑の中、住民やボランティアなどが懸命に土砂の撤去を続けています。一方、行方不明者の捜索が続いていて、周辺の住民は復旧のスタートラインにもつけていません。このような所はまだまだあります。そして、この横にある公園には石碑が立っています。石碑は、この辺りで過去にも同じような大きな災害があったことを伝えています。

坂町・小屋浦地区。背後の山で土石流が多発して、大量の土砂が住宅地に流れ込みました。6日の夜、政本治さんは、近くに住む母・朝子さん(88)と姉の典子さん(62)に、自宅のそばを流れる川から離れるよう呼びかけました。川が増水し、濁流となっていたからです。

「こんなことになると思わなかったから、『高台に逃げといてくれ、2人で』と。川より高い場所だから、私はあの電柱のあたりにいた。(そのとき2人の姿は)見えていた」(政本治さん)

しかし、それを最後に2人とは連絡がとれなくなりました。2人が避難した高台も土石流に押し流されていました。朝子さんは翌日、典子さんは9日後、遺体で見つかりました。

「悲しいけど、涙が出ない。今生きている人間がどうやって生活していくか、それを考えるだけ。土石流は・・・想定外」(政本治さん)

「72年間で、こういう被害見るのは初めて」(小屋浦地区の住民)

他の住民も「想定外」と話す大規模な被害。小屋浦地区を襲った土石流は砂防ダムを根こそぎ破壊していました。70年前に石積みで造られたものでした。

今回の土石流を食い止めることはできませんでしたが、当時から小屋浦地区での土砂災害の危険が認識されていたことが分かります。さらに、小屋浦地区には111年前にも土石流が集落を襲い、多くの犠牲者が出たことを記す石碑も残されています。この地区では、過去にも大きな被害を受けていたのです。広島大学の調査では、今回のような水害を伝える石碑が広島県内に少なくとも50基あることが分かっています。

「昔の人も、普段の川の流れを見ていると、まさかこんなことになるとは、と書いてある」(調査結果をまとめた小山耕平さん)

中でも、明治時代と大正時代に多くの犠牲者が出た2つの豪雨を記録する石碑は、今回、大きな被害を受けた地域と多くが重なっています。

「山が崩れるのは、よそのことだと・・・」(女性)
「もう70年も生きていて、そこまで避難しなくてもいいと・・・」(男性)

繰り返されてきた土砂災害。その記録を現在の住民の危機意識や避難に結び付けられるのかが問われています。

広島では2014年にも77人が亡くなる土砂災害が発生しました。その経験から、過去の災害を学んで、住んでいる土地の危険性を知り、命を守ろうと、各地でさまざまな取り組みが始まっていました。しかし、わずか4年で、その災害をはるかに上回る規模の災害が発生。避難の途中だった人、そして、まさに避難しようとしていた人が多く犠牲となりました。

山沿いに住宅が集まる広島で、繰り返される土砂災害から命を守るために、何が必要なのか。広島は重い課題が突きつけられています。(7月23日11:39)

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